2008年 05月 23日
追記・ピーチジャム |
昨日の(下の)記事のつづきとなりますが。
昨日のこども①の「飽きた」という言葉。実はとてもうれしい。
ここでの(幼稚園での)過ごし方は暑い日も寒い日も風の日も雨の日も、
100%以上に自然にどっぷりな過ごし方でした。
対人間というよりも、対自然。
それに「飽きた」ということ。
それは、次の世界、もっと広くて大きな世界へ渡る
心の準備が出来たということなのでしょう。
これがシュタイナー教育の醍醐味だと感じています。
与えるのではなくて、こどもの心の中から「何か」*が産まれてくるのを待つ、という教育。
もちろん、大きな幼稚園に行っても「遊び」が中心の日々ではあるけれど、
ミセスRの庭よりもちょっぴり大きな社会が待っています。
自然だけじゃなくて絵を描いたり手仕事をしたり、と少し知的な作業も出てきます。
本当にあかんたれで泣きミソだったこども①。
その彼女の中から「次のステップに移りたい」という気持ちが、
先の「飽きた」という言葉の中にあるのだと感じるのです。
飽きるほど自然の中にほっぽり出してくれた先生方に感謝です。
その感謝を込めて、ピーチジャムでも煮ようと思っています。
***
*シュタイナー教育では7年毎に生まれ出てくる「何か」大切に考えます。
生まれてからの7年は・・・生命を---体を育てることを通して
7歳から14歳までは・・・・感情を---心を育てることを通して
14歳から21歳までは・・・自我を---悟性・知性を通して
この3つがきちんと育って、正しい判断をくだすことの出来る大人になる、のだそう。
普通の学校でも最終目標は同じことだと思います。
ただ、これを同時に育てるのではなくて、
段階を追って集中的に育てて行くのがシュタイナー教育の特徴。
自分で考え、自分で正しく判断し、自分で行動できる。
それを「大人」とよぶのだそう。
全く然り。
昨日のこども①の「飽きた」という言葉。実はとてもうれしい。
ここでの(幼稚園での)過ごし方は暑い日も寒い日も風の日も雨の日も、
100%以上に自然にどっぷりな過ごし方でした。
対人間というよりも、対自然。
それに「飽きた」ということ。
それは、次の世界、もっと広くて大きな世界へ渡る
心の準備が出来たということなのでしょう。
これがシュタイナー教育の醍醐味だと感じています。
与えるのではなくて、こどもの心の中から「何か」*が産まれてくるのを待つ、という教育。
もちろん、大きな幼稚園に行っても「遊び」が中心の日々ではあるけれど、
ミセスRの庭よりもちょっぴり大きな社会が待っています。
自然だけじゃなくて絵を描いたり手仕事をしたり、と少し知的な作業も出てきます。
本当にあかんたれで泣きミソだったこども①。
その彼女の中から「次のステップに移りたい」という気持ちが、
先の「飽きた」という言葉の中にあるのだと感じるのです。
飽きるほど自然の中にほっぽり出してくれた先生方に感謝です。
その感謝を込めて、ピーチジャムでも煮ようと思っています。
***
*シュタイナー教育では7年毎に生まれ出てくる「何か」大切に考えます。
生まれてからの7年は・・・生命を---体を育てることを通して
7歳から14歳までは・・・・感情を---心を育てることを通して
14歳から21歳までは・・・自我を---悟性・知性を通して
この3つがきちんと育って、正しい判断をくだすことの出来る大人になる、のだそう。
普通の学校でも最終目標は同じことだと思います。
ただ、これを同時に育てるのではなくて、
段階を追って集中的に育てて行くのがシュタイナー教育の特徴。
自分で考え、自分で正しく判断し、自分で行動できる。
それを「大人」とよぶのだそう。
全く然り。
by downtoearthusa
| 2008-05-23 02:55